家庭菜園を始めてから、食卓が賑やかになった。妻が野菜の値段を気にしなくなったのが嬉しい

家庭菜園を始めて3年が経つ。最初は「野菜が育てばいいかな」くらいの気持ちだったが、気がつけばいろんなことが変わっていた。食卓の様子も、妻の表情も、毎日の時間の使い方も、野菜を育て始める前とは全然違う。

一番わかりやすく変わったのは、食卓だ。毎日の献立が、畑からの話題で始まるようになった。

以前は、スーパーで野菜を買ってきて、その日の気分や冷蔵庫の在庫で献立を決めることが多かった。でも今は違う。「今日、畑でナスが大きくなってたよ」という話から献立が始まる。妻も収穫したばかりの野菜を見て、「これで何を作ろうか」とワクワクしているのがわかる。

スーパーで買ってきた野菜を調理するときとは、明らかに気持ちが違う。自分たちで育てた野菜だから、少し愛着がある。もったいなく感じるし、おいしく食べたいという気持ちも強くなる。食卓に並ぶ料理の種類も、家庭菜園を始めてから少し増えた気がする。

スーパーに行っても、以前ほど野菜の値段を気にしなくなった。

家庭菜園を始める前は、キュウリが1本いくら、ナスが一袋いくらと値段を確認してから買うかどうか決めることが多かった。野菜の値段は季節によってかなり変わるから、高い時期には「今日はいいや」と諦めることもあった。

でも今は、家で育てている野菜がある程度あるので、スーパーで慌てて買い足す必要が減った。家の畑で採れた野菜に合わせて、肉や魚を買うという買い方に変わった。「今日の主役は畑のトマトだから、豚肉と合わせよう」という感じだ。

野菜の値段に振り回されることが減っただけで、買い物がずいぶん気楽になった。小さなことかもしれないが、毎日のことだから、じわじわと生活が変わった実感がある。

毎日の水やりも、生活の一部になった。

始めた頃は、水やりをついサボってしまうことがあった。でも一度サボると、野菜はあっという間にしおれてしまう。それが怖くて、今では毎日欠かさず畑に出るようになった。

水をやると、しおれていた野菜がしばらくするとピンとなって元気を取り戻す。その変化が目でわかるから、見ていて飽きない。野菜も生き物なんだなと、水やりのたびにしみじみ感じる瞬間だ。

植物は声を出さないし、どこか痛いとも言わない。でも水が足りなければしおれるし、水をもらえれば元気になる。それがはっきりわかるから、世話のし甲斐がある。

休みの日には、時期を見て肥料を与えることもある。

肥料をやった数日後、なんとなく野菜の成長が早くなったような気がすることがある。葉っぱの色が濃くなったとか、茎がしっかりしてきたとか、そういう細かい変化に気づくようになった。

気のせいかもしれない、と思いながら観察している。でも、この「気のせいかもしれない」という感覚が、野菜を育てる面白さのひとつだと思っている。正解がわからないからこそ、毎日見に行きたくなる。

肥料の種類によって効き方が違うとか、与えるタイミングが大事とか、少しずつ覚えてきたことも増えた。3年前は何もわからなかったことを考えると、少しは上達したのかもしれない。

家庭菜園を始める前、時間を持て余すことがあった。

定年が近づくにつれて、「自由な時間が増えたとき、何をすればいいんだろう」と漠然と考えることもあった。でも今は、時間が足りないくらい忙しい。朝は水やり、天気がよければ草取り、休みの日は追肥や土の手入れ、苗を探しにホームセンターへ行くこともある。

充実しているというのか、やることがあるというのか、とにかく「暇だな」と感じる時間がなくなった。むしろもう少し時間があればと思うくらいだ。こんな気持ちになるとは、3年前には想像していなかった。庭で野菜を育てるだけで、こんなに毎日が変わるものかと、自分でも少し驚いている。

野菜を育てていると、季節がより身近に感じられるようになった。

以前は、カレンダーや天気予報で季節の変わり目を知ることが多かった。でも今は、畑の野菜を見ていると季節がわかる。春になればトマトやキュウリの苗が出回り、夏には収穫が続き、秋になれば葉物野菜の出番になる。冬は土の準備をしながら春を待つ。

そのサイクルを3年繰り返してきたことで、自分の中に「季節のリズム」ができてきた気がする。ニュースで「今年は野菜が高い」と聞いても、「そうか、今年は天気が影響したんだな」と、少し実感を持って聞けるようになった。

食卓が賑やかになって、買い物が気楽になって、毎日水やりを続けるようになって、時間が足りなくなった。野菜を育てることが、気がつけば生活の真ん中に来ていた。3年前の自分が見たら驚くくらい、毎日の中身が変わっていた。これからも、野菜と一緒に季節を感じながら、毎日を楽しんでいきたいと思っている。

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