畑で採れた野菜を会社の同僚に配ったら争奪戦になった。唐辛子は辛党の同僚に大好評でした

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畑で野菜がたくさん採れると、自分たちだけでは食べきれないことがある。特に夏場は、キュウリもナスもトマトも一気に採れる時期があって、冷蔵庫がいっぱいになってしまう。そういうとき、妻の姉や会社の同僚に分けてあげている。この「おすそ分け」が、家庭菜園の楽しみのひとつになっている。人に配るなんて考えてもいなかったが、いざやってみると、これが野菜作りのもうひとつの喜びだと気づいた。

会社では、これがかなり好評だ。

採れたての野菜を会社に持っていくと、みんな喜んでくれる。「今日は何を持ってきたの?」と聞かれることもあるし、袋を開けた瞬間にちょっとした争奪戦が始まることもある。特にキュウリやトマトは人気が高くて、あっという間になくなってしまう。野菜を通じて、職場での会話も増えた気がする。以前は仕事の話だけだった同僚との会話に、野菜という新しい話題が加わった。休憩時間に「あの野菜、どうやって育てたの?」と質問されることも増えた。

唐辛子を持っていったときのことは、特に印象に残っている。

会社に辛党の同僚がいて、その人にあげたら、とても喜んでもらえた。「新鮮な唐辛子は、辛さに甘みが加わって、なんとも言えない」と教えてもらった。僕自身は激辛が得意ではないので気づかなかったが、育てた本人が知らない魅力を、食べる人が教えてくれることもあるんだと感じた。その同僚は、料理にちょっとずつ刻んで使うのが好きらしく、「これは市販のものとは全然違う」と何度も言ってくれた。次はその人のために、少し多めに唐辛子を育ててみようかと考えている。育てたものを喜んでくれる人がいると、次の栽培計画にも自然と気持ちが入る。

畑で育てた唐辛子が、誰かの「これは美味しい」という一言につながる。そんな瞬間があるから、また来年も育てようという気持ちになる。野菜を育てているときは、正直、自分たちが食べることしか考えていなかった。でも人に配るようになってから、育てる目的が少し変わった気がする。誰かに喜んでもらうために育てる、という感覚だ。

妻の姉も、家に来るたびに何かしら野菜を持って帰っているようだ。両手いっぱいに抱えて帰ることもある。

最近では、収穫時期をある程度予測しているらしい。「そろそろキュウリができている頃だろう」というタイミングで訪ねてくる。それだけ楽しみにしてくれているんだと思うと、こちらも嬉しくなる。妻からその話を聞いたときは、思わず笑ってしまった。姉の中で、うちの畑のカレンダーができあがっているんだろう。トマトの時期、ナスの時期、キュウリの時期。季節ごとに顔を出すタイミングが変わってきているらしい。

姉が言うには、採れたての野菜を食べると、スーパーの野菜が物足りなく感じるらしい。一度、畑の味を知ってしまうと、なかなか元には戻れないのかもしれない。姉は「もう買う野菜と味が違いすぎて困る」と半分冗談、半分本気で言ってくる。そう言われると、こちらとしても、次はもっといいものを育てて渡したいという気持ちが強くなる。

そう言われると、育てている僕としても誇らしい気持ちになる。ただ野菜を分けているだけなのに、相手の食生活にちょっとした変化を与えているんだと実感する瞬間だ。小さな畑から始まったことが、家族や職場の人たちの毎日に少しずつ広がっているのを感じる。

誰かに野菜を渡すとき、いつも少し緊張する。おいしいと思ってもらえるだろうか、と。自分で作ったものだから、正直な感想がどう返ってくるか、渡すたびに気になる。でも、そのぶん「おいしかった」と言われたときの喜びは大きい。その一言のために、また次の野菜を育てているのかもしれないと、最近つくづく思う。

会社の同僚も、姉も、みんなに喜んでもらえている。それが、僕にとって野菜作りを続ける力になっている。誰かに喜んでもらえるというのは、想像以上に自分の励みになるものだ。畑仕事は決して楽ではない。暑い日の水やり、虫との格闘、失敗した野菜への落胆。それでも続けられているのは、こうして誰かの笑顔につながっているからだと思う。自分たちが食べるためだけに始めた家庭菜園が、いつの間にか人とのつながりを生む場所になっていた。

来年は、もっと美味しい野菜を作りたい。日々そう思いながら、畑に立っている。誰にどの野菜を渡そうか、そんなことを考えながら苗を選ぶのも楽しみのひとつになった。辛党の同僚には唐辛子、姉にはキュウリとねぎ、そんなふうに顔を思い浮かべながら育てる野菜を決める日も増えた。畑で育てた野菜が、これからも誰かの食卓を彩ってくれたら、それ以上に嬉しいことはない。そんな気持ちを胸に、今日も畑に足を運んでいる。

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